越冬闘争
若い頃、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)で越冬闘争に駆り出されたことがありる。
日雇い労働者が寝泊まりする地区だ。
木賃宿もあるけれど、道で寝てる人が圧倒的に多い。
センターあたりは酒臭かったりションベン臭かった。
画像はイメージ
冬なので夜は冷える。
段ボールの上から毛布とビニールシートをかけて寒さをしのぐ路上生活者たち。
朝になると冷え切った体をひきずりながら仕事を探しに行くけれど
高齢のため、仕事などあるはずもなく
日に日に増す寒さの中、痛む体をかばいながら空き缶を拾って歩いていた。
食事はキリスト教系のボランティアが炊き出しを手伝ってくれている。
私達の役割は「夜廻り」と言って、寒い夜中に釜ヶ崎一帯を廻り、体調を崩して動けなくなった路上生活者を見つけ出し、しかるべき医療を受けられるようサポートをすることだった。
医療を受けさせたい。
「このまま死にたいんや、ほっといてくれ」
そう言いつつ我々の手を払いのけることができないほど衰弱する人たち。
彼らが保護や医療を受けるのを拒むのには理由がある。
捨てた家族に迷惑がかかんねん
いや、捨てたわけじゃない。家族のために働いていたのに、その日ぐらしになってからは仕送りが途絶え、連絡も途絶え、いつの間にか死んだことになっていた。
仕事がうまくいかなくて全てから逃げてきた人もいる。
本名や戸籍を知られたら困る。
親族に連絡を取られたら困る。
だから、オレ、生きとんの、知られたらあかんねん。
おっちゃんのこと、もう、ほっといてや
いろんな過去があって、
やむにやまれず路上生活を続けている。
誰も理由を聞かないし、おっちゃんも何も言わないけど
若かった私には重い場所だった。
最終的には現場の支援者の判断で救急車を呼ぶのだけど
2~3日もすれば元の場所に戻ってくる。
もう、ええねん。
ほっといてや、うっさいねん。なんやオマエら。
警察、呼んでやってもええんやで。
気の重い場所は酒と体臭とションベンの臭い
生きるのは権利なのか、義務なのか
ほっといたらええねん
ボランティア内でも葛藤があったのは事実だ。
支援者たちの愚かな「闘争」もあった
支援者たち、といっても
半分は大学生だったように思う。
旧学生運動の流れをくむ色のヘルメットをいつも持っている奴もいた。
理想だけは一人前だけど、所詮、学生だ。
組織に属していないボランティアを勧誘していたりする。
平等だ、階級闘争だ
理想は一人前なんだけど
仲間内のなかで階級を作っている。
皆、自分が優位な立場であることを疑いもしていなかった。
アイツんとこ思想がなまぬるいやろ、
あんなん日和見主義や
相手を見下し合っていた。
ボランティア同士で差別しあっていた。
そういう党派争いに、おっちゃんたちが利用されている現実。
現実は理想のように美しくはないのだ。